モラハラに終わりはない

大学3年生の夏、私は幸福に満ちていた。
春から仲良くしていた男性が、とうとう私の彼氏になったからだ。
彼は人当たりがよく優しくて、スポーツもできるし頭も良いひとだった。
お互いに恋愛経験が少なかったので、手探りでゆっくりと愛を育んでいけたらいいなと思っていた。彼も私を愛してくれていた。

違和感を覚えはじめたのは交際3ヶ月を過ぎたあたりからだった。

デートに行くため待ち合わせると、彼が顔を顰めて信じられない言葉を口にした。
「なんなんその服。ありえへん、着替えてきて」
彼に近づく歩みを止め、思わず固まった。
どうやら冗談ではなく本気らしいと分かって、どうしたら良いか分からなくなった。
その後どうしたかは憶えていない。

その後も彼は私への言動をエスカレートさせた。勿論、酷い方向へ。
顔を一目見て「顔むくみすぎちゃう?」、体を見て「だらしない体。痩せたら」、話をすれば「お前と話してると疲れる」「頭が悪くなる」。思い出すだけで具合が悪くなる言葉を沢山ぶつけられた。
その度にあらゆる言葉で謝罪し、口をつぐみ、「頑張るから許してください」というようなことを口にした。
それでも何も認められることは無かった。
大学生活が多忙をきわめ、そんな中でも彼氏に存在自体を否定される。そんな毎日に疲れ果て、「そういうことは言わないでほしい」と懇願したこともあった。
それに対する彼の返答は、「気合いが足りない」だった。
多忙を理由に努力を怠るな、という旨の返事が来たとき、目の前が真っ暗になった。
それに追い打ちをかけるように、「俺の姉ならこうするだろう、あいつは努力家だからきっとやり遂げるんだ」と何故か血縁者と比較してきた。こいつには人間の心がないのだ、と気づいたのはこの時期だったと思う。

交際して1年ほど経った頃から、彼はその辺にいる女に片っ端から手を出すようになった。
部活の女子、サークルの先輩、クラブの女、挙句の果てには私の友人とも寝ていた。
友人と関係を持たれた時は流石に正気を失い、私は泣いて暴れた。頑なに「違う、キスまでしかしてない」と言い張る男を尻目にひたすら泣き叫んだ。気が狂った私はその場で別れを告げたのに、玄関まで追いすがられて「俺にはお前しかいない」と抱きしめられ、何故か別れられなかった。今でも意味が分からない。

それから数年経ち、何度も何度も同じことを繰り返して、その日が来た。

「俺、実はちょっと前から二股してて…そんな俺って最低やなって思って…だから別れてほしい」
俯いて被害者面をしている目の前の男を見ながら、私は号泣しながらも安堵していた。
ああ、やっと終わる。
やっと、ゴミカスから人間に戻れる。
そう思うと涙が止まらなかった。「分かった、今日で終わりにしよう」と嗚咽しながらやっとのこと言えた。

学生時代から交際していた、とんでもないモラハラ彼氏。以前から周りの友人には早く別れるよう忠告されていたのに、判断力が鈍っている愚かな私はその忠告を無視して交際を続け支配下から逃れられなかった。
意味不明な理由ではあったが、その言葉によって私の数年にわたる苦しみは終わる。心の底から嬉しかったし、翌日の夜にはすっかり立ち直って開放感すら感じていた。
これで終わった、もう大丈夫、と思っていた。
大きな間違いだった。

別れてからも、私の心に刻まれたモラハラの数々は消えなかった。
新しい彼氏ができ、その彼氏に極上の扱いを受けても、ふとした瞬間に思い出してしまう。
『国試落ちたらお前のせいだからな』
『お前と話してると疲れるわ、興味無い話ばっかりするし』
『なんでお前ってそんなにつまらんの?』
『唇ガサガサすぎ。お前の友達とキスしたときもっと柔らかかった』
『最近太った?ブス、痩せて』
『そのワンピース着てくるとかありえん、隣歩くの恥ずかしいし近寄らんといて』
数々の罵詈雑言が、私の背中に刺さる。
もうそんなことを言う人はいないのに。
目の前にはこんなにも素敵な人が私を愛して護ってくれているのに。
今でも時折夢に出て、怖い記憶が私を罵る。



きっとこれからも、あの最悪な数年間は忘れられないし、恨んでしまう。
私の心に消えない傷を付けたあの生き物を。

彼は私と別れたあと、二股相手の女の子と正式に交際を始めたらしい。
どうかふたりに最大級の苦難が待ち受けていますように。
そして、この世に生を受けたことを悔やむくらい辛い目に遭って、人生の幕を閉じますように。
大好きな彼と結婚を控えた今でさえ、そう祈らずにはいられない。